元ライブボーカリスト@ウタヲのプロフィール
無気力、無関心だった私が、
得意でもない歌で考え方が180°激変!
歌がうまくなくて良かった。
歌は私に
努力は裏切らない事を
教えてくれた偉大なる師。
心の底から湧き上がった思いに
涙が止まらなかった
あの瞬間!
ウタヲブログにお立ち寄りくださり、
ありがとうございます。
初めまして、
元ライブボーカリスト@ウタヲと
申します。m(_ _)m
大阪在住で、趣味は絵を描くこと、
音楽鑑賞、B級グルメめぐり、
そして、
死ぬまで音楽からはなれられない、
ミュージシャンです(笑)
最近、コロナ禍でカラオケボックスも
気軽に行けない状況ですよねぇ…
退屈ですねぇ…
そこで私は、自宅で楽しめるスマホの
カラオケアプリで楽しんでいます。
アカウントを取得すると自分の専用ページを
持てるのですが、カラオケで唄った歌を、
自分のページにアップロードできるんです。
今、私は自分でボイトレをしながら、
全盛期の声量とハイトーンボイスに
もどしてヘビーメタルをメインに
色んな歌を唄っています(笑)
これが結構、楽しいんですよ!
私がカラオケボックスがわりに
楽しんでいるカラオケアプリは、
「ポケカラ」というアプリです。
(iPhoneその他のスマホにも対応)
このアプリ内で他人の歌を聞いたり、
自分で唄ったりするだけなら
無料で楽しめるアプリです。
(有線のマイク付イヤホンがあれば
カラオケボックス並みに唄えます)
私は、最初から色んなジャンルを
幅広く唄えたり、ハイトーンボイスで
唄えたわけではありませんでした。
では、時間を高校時代にもどします…
最悪の高校時代
それは高校2年の時、一緒に遊んでいた
仲間のある一言から悲劇が始まったのです。
やりたいんだけど、
ボーカルやって
くれないか?
唄うことが嫌いではなかったので
何も考えずに安請け合いを
してしまったのです。
そして、選曲が決まり
「演奏する曲はRainbow
(レインボー)から3曲にするよ」
と言われた時、
「曲を覚えれば何とかなるだろう」と
簡単な気持ちでいました。
Rainbow(レインボー)とは、
ハードロックバンドで、
当時のボーカルは、
グラハム・ボネットという
金髪リーゼント、レイバンの
サングラス、白のスーツが
印象的で、ドスの効いた
声質でめちゃくちゃ高音で唄う
ボーカリストだったのです。
ボーカルは、かっこ良いんですが、
声質、声量も余りにも凄すぎて、
素人がちょっと練習したくらいで、
どうにか出来るレベルではありません。
唄うの?
ムリムリ…!
してるから今さら曲の
変更できないよ
だけで、どうにか
なるんだから、何とか
がんばってよ!
その言葉で強引に押され、
しぶしぶ曲を覚え練習のために、
スタジオに入ったのですが、
ハードロックが何かもわからず
超高音なんて出したことも
ないので、全く話にならない
状態でしたが、
バンドメンバーからは…
練習を続ければ
本番では、かなり
仕上がってるはずだよ
そう、私はほめられると断れない
性格だったのです…(苦笑)
あとでわかったことなのですが、
ほめることで私が辞めるのを阻止し
文化祭まで引っ張ろうと
していたのです。
もともと私をボーカルとして
誘ったのも、友人が文化祭バンドで
レインボーをやりたいが、
他を当たっても、ボーカルが
難しく断られることは目に
見えていたからなのだ。
私が嫌だと断れないお人好しな性格
だと見抜いて誘ったのです。
これは後日、当時のメンバーだった
連中から聞いた話です(苦笑)
文化祭当日
練習では何一つ上手くいかないまま、
とうとう本番がやって来ました。
極度の緊張で英語の歌詞は記憶から
ぶっ飛んで真っ白…
その上、ど素人が短期間練習した所で
高声など出ることもなく、ただ、
Rainbowの演奏だけが流れていました。
ボーカルの私は、音程もまともに取れず、
ドラム、ベース、そして歪んだギター音
ど派手な演奏から
お坊さんがお経(おきょう)を
となえているかのような
歌で終わってしまいました。(泣)
はぁ〜、苦行は終わった…
これでいつもの気楽な生活に戻れる。
ここまでは、良かったんです。
まだ自分の歌を聞くまでは…….
後日、生徒会が文化祭のバンドで演奏した
曲を昼休み時間に全校放送で
流し出したんです。
そこで初めて自分の最悪な歌を
聴くことになりました。
今までの人生で目立ったことのない私が、
歌詞もまともに唄えてない上に
高音なんて全く出ていない
お経のような自分の歌を聞いて
ゔわぁぁぁ~最悪だ~!
顔から火が出るくらい恥ずかしい…
周りから私を面白い物を見るかのような
視線を感じ、クスクスと笑い声が聞こえる中、
「注目されるとはこんな恥ずかしいのか!」
と、わけのわからない解釈をしながら、
すぐさま用事を思い出したフリをして
教室から立ち去りました。
その日、昼からの記憶はありません(苦笑)
今から思えば、何も考えず
安請け合いをしたばっかりに、
とんでもない精神的苦痛を味わい、
心にひどい傷を負う最悪の結果と
なってしまったのです。
それ以降、唄うことがトラウマで
日常生活でもTVから流れる音楽にも
耳を傾けなくなりました。
いつも誰かが私を見て、あの時の歌で
笑われているように思え、人前に出ることも
怖くなりました。
残りの高校生活というもの、
何か問題があっても、正面から
問題を解決しようとはせず、
避けてやり過ごすだけの無気力な
駄目人間に成り下がってしまったのです。
辛かった思い出だけが
強烈に残った高校時代でした…
専門学校で出会った知人
高校卒業後…
何となく美術系の専門学校に進学し
新しい学校生活で半年が経とうと
していました。
ある日、専門学校の帰りに、
他の高校で面識ある同級生と
地下鉄の駅で偶然でくわし、
それからというもの、帰宅時間が
あえば一緒に帰るようになりました。
彼は音楽専門学校に通っていて専門的な
音楽の話を聞くことがありましたが、
高校時代のトラウマが、
その会話の先にブレーキをかけ
会話をはぐらかしていました。
そんな思い出を知ってか知らずか、
彼の学校の授業でレコーディングの
課題がありボーカルだけがいないので
レコーディングに参加して欲しいと
お願いされたのです。
私の脳裏に、あの時の忌まわしい
記憶がよみがえってきました。
私は、「忙しいので無理」だと断り、
その日は、それで終わりました。
数日、経って、
どうしてもボーカルが見つからない、
レコーディングの課題を取れなければ
卒業にひびくと言われ、
「なぜ、私を誘うのか?」と理由を聞くと
「話している時の声が悪くない」と
言われたのです。
こんなことを言われたのは初めてで、
気を良くしたお馬鹿でお人よしの私は、
またここで悩むことになります。
課題曲はどんな曲?
あっ、なんで質問したんだ?
俺、聞いちゃってるよ~…(泣)
相手の話に乗って
しまってるじゃないか…(;’∀’)
この1曲だけ
なんだけど…
なんで?
正確に演奏するのは
難しいんだよ。
そんなものなのか~…
意外だった答えに少し興味が
あったのか、その後、30分ほど
彼と音楽の話をしたあと、
ようやく音楽の話に
のってくれたな(笑)
あ~、俺、何いってんだ?
また悲惨な結果が待ってるのに…
一度は最悪な状況を招いた
「お人よし」の性格が、
今度は、未来の私の音楽人生と
無気力、無関心の思考を真逆に変える
きっかけになります。
自宅に帰り「長い夜」の音源を
はじめて聴いた時、
「うそ~!声高いやん…(汗)」
やばい やばい やばい……..
「でも、あの時のグラハムボネットより
唄いやすいか…」
私は焦っている時ほど
楽天的になる習性のようだ…(苦笑)
この厄介な頼まれごとを
いかに上手くやり過していくか?
このことで頭が一杯になっていた。
結局、正しい発声練習もわからず、
焦りと不安を忘れるかのように
毎日何回も唄い続けることで、
自分の気持ちを落ち着かせた。
ところが、偶然にもこの行動で
サビの部分の高音が何とか出せる
ようになっていたのだった。
レコーディング 当日
ドラム、ベース、キーボード、ギター、
の順に録音が終わり、いよいよ、
ボーカルの録音が始まった。
テイク1(1回目)、リハーサル(練習)
テイク2(2回目)、1回目レコーディング
テイク3(3回目)、2回目レコーディング
合計3回、わずか約30分で終了。
唄い終わってから、ミックスダウン
(ドラム、ベース、ギター、キーボード、
ボーカルをバラバラに録音した音を
合わせて1つの曲にする)の作業を
見学させてもらった。
1つの曲として完成したのだが、
ボーカルの音が薄っぺらいと指摘され、
唄い直さずにテイク2とテイク3で
2回録音した歌を重ねてみようという
話になった。
録音技術って凄いなと他人事のように
感心していると、私以外のみんなが
「ん?」と何かに気付いたようだった。
2つ重ねた私の歌が、声の伸ばし方、
ビブラート、全てがズレることなく
1つに重なるらしい。
私の唄い方には、自分の中で1つの
定まった法則があるみたいだ。
これがのちに、
ポケカラで自分でコーラスをして、
自分で唄うセルフコラボに役立つとは
夢にも思いませんでした。(笑)
そう、私の唄い方は、どんな状況下でも
一定の唄い方なのだった。
意外な誘い
それから半年くらい経ったある日、
音楽専門学校の友人の更にその友人から、
「ヘビーメタルバンドのボーカルとして
加入してほしい!」
という誘いがきたのだ。
私は過去の嫌な思い出があるので
「超高音で唄うジャンルの歌なんて
無理 無理」と返したが、
レコーディングに参加した件は
知っているらしいのだ。
一番、気になる点は、
「何で私なの?」…だ。
ここで驚きの答えが帰って来た。
「スタジオで録音した歌を聞いて
歌が上手いから!」だそうだ。(苦笑)
思っても見なかった内容に、
「また、他にボーカルが
見つからないから騙されてるのか?」
それとも
「アマチュアバンドは、よほど
ボーカルに困っているんだな」と
どうにも理解できない答えに
自分で何かに納得するしかなかった。
しかし、
たとえ嘘だとしても歌が上手いと
言われたことが心地よく嬉しかったのも
覚えている。
そう、私は、おだてられると
嫌と断れない性格なのだ(泣)
あの忌まわしい高校の文化祭で
トラウマになった自分は、
この先、歌とは無縁の人生を
歩むはずだった…
でも、バンドを本気でやっている人よりも
多く関わっているのではないのか?
そう思った私は…
「少し考えさせてほしい」と返答した。
そして考えること1週間…
縁(えん)なんて目に見えない物は
一切、信じない性格だったが、
音楽に関しては、歌が下手だと思っている
自分にこんなに関われているのは、
きっと何かの縁なのかな?と思い始めた。
そして、
「準備したいので6ヶ月、待ってほしい。
それで良ければヘビーメタルバンドの
ボーカルやらせて下さい」と返事をした。
これで諦めてくれればラッキーだが、
たとえ、それでも良いと言われても、
練習期間が6ヶ月あるのだから
練習も多くできると考えた返事だった。
結局、
それでも待ってくれると返事を貰った。
せっかく誘ってくれた人にも、
後悔させたくないという思いから、
これからは絶対に適当なことは
しないと心に誓い、
高校の文化祭の時、
全く唄えなかった超ハイトーン(超高音)を
絶対に身に付けると強く心に誓ったのだ。
当時、情報なんてほとんど拡散されない
時代だったので練習といえば、
ひたすら唄い続けるくらいなのだ。
毎日、朝と夜2回、全く出ない
遥かに高い高音の歌を2時間以上、
がむしゃらに唄い続け、
喉を痛めたり、声がかれれば休養、
時には喉から血が出たり…
喉の休みの時は、
色んなヘビーメタルを聴きまくる…
喉が治ったらまた毎日、朝と夜、
ハイトーンで2時間以上、
歌の練習を6ヶ月間 繰り返し…
いつの間にか、ハイトーンをマスターして
ヘビーメタルが唄えるようになっていた。
それが、これくらいの高さの歌です。
▼ ▼ ▼
ラウドネス 「Angel Dust」
そして、ちょうど6ヶ月経った頃、
首を長くしていたバンドメンバーが
暖かくで私を迎え入れてくれた。
このバンドで2年間、色んなコンテストに
出場したり、小ホール、市民会館など
活発にライブ活動をしてきたので地元では
少し名が知られるようになっていた。
しかし、バンドが一番、まとまって
ピークだった全盛期、メンバーそれぞれが
めざす音楽の方向がズレていった。
時間をかけ何度もミーティングを設け、
メンバー全員が納得できるような
アイディアを検討してみたが、
なかなか折り合いが上手く行かず、
結局、解散することになってしまう。
高校時代から腐り続けていたダメ人間の
私が立ち直れるきっかけをくれたのは、
このバンドだったので、良い思い出が
いっぱいのバンドが無くなるのは
凄く悲しかった。
でも、仕方がない…
目の前の現実を受け入れるしかなかった。
ふと思い出すと、
悲しい…寂しい…辛い…の繰り返し。
心の支えが無くなり、
またダメ人間に戻り始めていた。
新たな出会い
地元のバンドで活動していた頃、
私を注意深く見てくれていた
他のバンドがいました。
そのバンドは、オリジナル曲で本格的に
ライブハウスで活動する有名な
ヘビーメタルバンドでした。
私達のバンド解散を知り、
その有名なバンドから私を、
ボーカルとしてむかい入れたい
という誘いが来たのである。
腐り続けていた私にすれば、
嬉しさ半分、不安半分で断る理由も無く
そのバンドのボーカルを引き受け
活動することになった。
私はこの有名なバンドの名前に
負けないように、新しいボーカルとして、
バンドの看板となれるように、
バンド練習以外でも、1人で黙々と
歌の練習を続けた。
このバンドでも色んなライブにも出続けた。
そのおかげもあってか、
今、TVで活躍するメジャーバンドや
アーティストも結構な数の知り合いがいる。
勢いを落とさずライブ活動し続けた結果、
レコード会社2社、芸能事務所1社
計3社からプロとして活動しないか?
というお話をいただいた。
この時はさすがに体が震えた。
そして脳裏に浮かんだことは、
高校時代、安請け合いした音楽で、
死ぬほど嫌な思いをしたのに、
最後は音楽でスカウトされるとは…
今まで努力してきたことが
無駄では無かったんだな…
諦めずに努力することは裏切らない。
ただただ、認められた嬉しさで一杯だった。
別れの時
バンドとして、念願だったプロの話を
いただいてから1週間…
毎日、自分の将来を想像するのだが、
そこには音楽で活躍する自分の姿は
なかった…
思い出すのは小さい頃の、
「将来、絵を描く仕事をしたい」と
いう夢だった。
いつの間にか、あの忌まわしい
高校時代の無気力な生活で
子供の頃の夢を忘れていたんだなぁ…
そういえば、高校卒業後、
何となく通った美術専門学校も
小さい頃からの夢を忘れられなかった
からではないのか?
と思うようになっていた。
日に日に将来、絵を描きたいと
思う気持ちが強くなり最終的には、
音楽ではなく絵の道を選ぶことに
なったのです。
そして、最後にバンドリーダーとの会話…
わすれてたんだ…
バンド続けられないわ…
涙ながらに頭を下げると、
メンバー全員がプロに
ならなくても良いんだ
俺たちの気持ちを
持ってプロにいって
くれれば、それで良い
なかったって言うだけ
だから…
好きなことはメンバー
みんな知ってたんだよ
私がボーカルとして、このバンドで足を
引っ張らないようにバンド練習以外でも
一人で練習していたころ、
絵の話をするときの、
私の生き生きした顔を見て、
メンバーは、いずれ私は、バンドから
離れて絵の道に行くのだろうと
別れを予感していたのだった。
結局、ボーカルの私が抜け、
そのあと新しいボーカルも募集せず
バンドは解散の道にすすんでいった…
それぞれの道
その後、
バンドメンバーでプロになったのは、
スタジオミュージシャンとして
活躍しているギターのN君だけ。
彼は今もメンバーの気持ちを背負って、
ギタリストとして活躍し続けている。
残りのメンバーは、ボイトレ講師、
レコーディングスタッフなど、
絵の方向に進んだ私以外は、
皆んな音楽関係の仕事についている。
そして、それぞれの人生を歩き始める…
私の人生は、音楽で腐り落ち、
音楽で立ち直るきっかけをもらった。
音楽で努力することを教わり、
無気力、無関心だった人間が、
気が付けば情熱を持って努力できる
人間に変わっていたのだった。
自分でもびっくりだが…
うつむき加減でアスファルトをながめ
歩いていると、色んな思い出がよみがえり
なつかしく感じ微笑みながら立ち止まった。
ふと、見上げれば、
見渡すかぎり空の青が
一面に広がっていた…